徳田靖之弁護士の大学や経歴!ハンセン病裁判の賠償金額と今現在の活動は?



「ハンセン病国家賠償訴訟」は徳田靖之弁護士が

共同弁護団代表となり、

小泉内閣に戦いを挑んだ裁判です。

国に人生を奪われた人々を救うため、

徳田靖之弁護士が立ち上がった裁判後の

ハンセン病患者の今現在と、

徳田靖之弁護士の経歴や

ハンセン病裁判を担当した理由、

裁判の賠償金などについて調べてみました!

徳田靖之弁護士の年齢や大学などのプロフィール

徳田靖之弁護士

出典:神戸新聞

名前  :徳田靖之(とくだ やすゆき)
生年月日:1944年生まれ
年齢  :75歳
出身  :大分県別府市
大学  :1967年東大法学部卒業
職業  :弁護士法人徳田法律事務所

徳田康之弁護士の父親は太平洋戦争で亡くなり、

母は26歳で戦争未亡人になったので、

祖父母に育てられたという徳田靖之弁護士。

大学4年生の時に司法試験に合格した

徳田靖之弁護士は、

東京で4年間活動した後、大分県にもどり、

多くの医療過誤事件を手掛け、

とくに薬害エイズ訴訟、ハンセン病訴訟などの

弁護団のリーダーとして活躍されました。

刑事情状弁護・医療過誤訴訟の

第一人者としても知られており、

弁護士が憧れる弁護士として尊敬されているのだとか。

そんな徳田靖之弁護士が携わった

ハンセン病国家賠償訴訟とはどんな裁判なのでしょうか?

ハンセン病とは?

※国立感染症研究所より引用しています。

ハンセン病は皮膚と末梢神経を主な病変とする

抗酸菌感染症です。

どうやって感染するの?

菌に毒力はなく、

未治療患者からのヒト対ヒトの飛沫感染。

その感染力は弱く

また、

乳幼児期に濃厚で頻回な感染を受けた者

以外ではほとんど発病につながらない

感染から発病までには、

その人の免疫能、栄養状態、衛生状態、経済状態、

菌量、 環境要因など種々の要因が関与するため、

万一感染しても、発病せずに

一生を終えることがほとんどであり、

遺伝病ではない

ハンセン病の症状は?

痒みや痛みなどの自覚症状のない

治りにくい皮疹で、白斑、紅斑、環状紅斑(図2)、

結節など多彩。

末梢神経がらい菌によって障害され、

知覚の鈍麻や麻痺を認める。

毛根や汗腺も障害されて、脱毛や発汗低下も起こる。

現代では特効薬も開発されており

完治する病気です。

治療をせずに放置すると身体の変形を引き起こし

障害が残る恐れもありますが、

初期に治療を開始すれば障害も全く残りません

出典:日本財団

感染力が弱く、発症率も低い、

さらに治療法が確立されているのにも関わらず、

何十年も約7000人が日本では強制隔離されたそうです。

なぜなのでしょうか?

ハンセン病患者が差別される理由

日本でも8世紀につくられた「日本書紀」に

ハンセン病に関して記録が残されています。

また古い時代から日本の患者には、

家族に迷惑がかからないように

住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」

と呼ばれた方も数多くいたそうです。

明治になり、諸外国から文明国として

患者を放置しているとの非難をあびると、

政府は1907年(明治40年)、

「癩(らい)予防に関する件」という法律を制定し、

「放浪癩」を療養所に入所させ、

一般社会から隔離してしまいました。

さらに、1931年(昭和6年)には

従来の法律を改正して「癩予防法」を成立させ、

強制隔離によるハンセン病絶滅政策という考えのもと、

在宅の患者も療養所へ強制的に入所させるようにしました。

入所者が結婚する条件として行われていた

優生手術(避妊手術)もあったそうです。

これにより

ハンセン病は伝染力が強く遺伝するという

間違った考えが広まり、

偏見を大きくしたといわれています。

患者はもとよりその家族も結婚や就職を

こばまれるなど、偏見や差別は一向になくなりませんでした。

第二次大戦後も強制隔離政策を継続する

「らい予防法」が制定され、

この法律の存在が世間のハンセン病

に対する偏見や差別をより一層助長したといわれ、

ハンセン病であることを隠して

療養所の外で暮らしていた方々も差別を恐れ、

適切な医療を受けられないなど

大変な苦労をしました。

ハンセン病国家賠償訴訟とは?

出典:九州合同法律事務所

日本の著明な国家賠償訴訟のひとつで、

ハンセン病に罹患した患者を伝染のおそれがあるとして

強制隔離することを定めたらい予防法が、

日本国憲法に違憲であるとして提起した国家賠償訴訟です。

もう少し砕けた書き方をすれば、

1996年、ハンセン病患者らの努力によって、

「らい予防法」は廃止されたものの、

国は、ハンセン病元患者さん達に対して

とってきた誤った政策について

何らの反省も示していなかったのです。

そこで、ハンセン病元患者さん達は、

1998年7月に熊本地方裁判所において訴訟を提訴。

1999年3月に東京地方裁判所、

1999年9月に岡山地方裁判所でも

国の責任を追及し、

またハンセン病に対して根強く残る偏見差別を取り除くため、

訴訟を提起しました。

2001年(平成13年)5月11日、

熊本地裁で原告(患者・元患者)が勝訴、

政府は控訴をしませんでした。

これをきっかけに6月には衆参両院で

「ハンセン病問題に関する決議」が採択され、

新たに補償を行う法律もできました。

内閣総理大臣、厚生労働大臣、衆議院、

参議院によってそれぞれの謝罪文書が作成され、

新聞50紙に謝罪広告がなされました。

出典:九州合同法律事務所

国は患者・元患者さんたちに謝罪をし、

2002年(平成14年)4月には、

療養所退所後の福祉増進を目的として、

「国立ハンセン病療養所等退所者給与金事業」

を開始、名誉回復のための対策を進めています。

この訴訟の共同弁護団代表が徳田靖之弁護士なんですね。

徳田靖之弁護士が
ハンセン病国家裁判を引き受けた理由!

ことのきっかけは1995年9月1日、

鹿児島県にあるハンセン病療養施設に入所する

島比呂志(故人)さんから、

九州弁護士会連合会(略称:九弁連)へ送られてきた

一通の手紙でした。

らい予防法のような世界に類を見ない
悪法をかくも長きにわたって
存続させたことについて、

人権に最も深いかかわりを持つはずの
弁護士会は沈黙したままだ。
それでいいのか。
法律家としての良識を示してほしい

出典:特定非営利活動法人 IDEAジャパン

全身をムチで打たれたような気持ちになったという

徳田靖之弁護士。

そのような人権侵害が隔離施設で行われていた

ことを弁護士が把握してなかったという事実を

深く反省、受け止め、

この問題の根本に位置しなければならない

はずの法曹が、最も遠いところで、

そっぽを向いて仕事をしてきたことを悔いたそうです。

すぐにチームを組んで国立ハンセン病療養所の

隔離被害にあわれている患者さんへの聞き取り

アンケートを実施。

「らい予防法・同廃止に関する見解と提案」

を発表し、訴訟へと準備を進めていきました。

ハンセン病国家賠償訴訟の賠償金は?

ハンセン病国家賠償訴訟は、

2001年(平成13年)5月11日、

熊本地裁で原告(患者・元患者)が勝訴し、

政府は控訴をしませんでした。

3 以上を踏まえ、慰謝料額については、
初回入所時期と入所期間に応じて、

1400万円、1200万円、1000万円
及び800万円の四段階とし、

弁護士費用については、
右各慰謝料額の一割とするのが相当である。

出典:厚生労働省

1996(成8)年3月に「らい予防法」が

廃止されるまで、実に90年もの間、

「隔離」という人権侵害が続き、

70代、80代という年齢になり、

平均入所期間40年を越えて社会復帰できずにいる

というのに金額が低すぎると感じました。

ハンセン病患者の今現在と徳田靖之弁護士の活動は?

平成8年に「らい予防法」が廃止され、

平成20年には

「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」

が制定されるなど、

社会復帰を後押しする施策も進められていますが、

御高齢のうえ、ハンセン病の後遺症により

身体の不自由な方が多く、

また、子どもをもつことが許されなかったために

家族がいない方が多いとのこと。

また、社会全体に偏見や差別などが

残っているために故郷へ帰れない方が

たくさんいるという現実もあります。

そして、

患者とともに家族も激しい差別に

さらされてきたのですが、

国は家族への責任は認めていないのです。

徳田靖之弁護士は、3年前から

兵庫県を含む各地の家族568人の

国に謝罪や賠償を求める裁判を提訴。

判決は2019年5月31日に言い渡されるそうです。

二度と同じ過ちを繰り返さないために、

私たちに何ができることと言えば、

「正しい知識を身に付け、理解すること」

でしょうか。

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