坪倉優介(激レアさん)の今現在や草木染め作品は?大学や結婚と記憶の戻りは?





激レアさんを連れてきたいに出演の

ツボクラさんこと坪倉優介さんの今現在は、

草木染め作家として活躍!

18歳で交通事故にあって、記憶喪失になり

人間の生活習慣全部を忘れてしまった坪倉優介さんの

出身大学や結婚されたのかどうかについても調べてみました!

坪倉優介の年齢や大学などのプロフィール

坪倉優介 激レアさん

出典:大阪芸術大学HP

名前  :坪倉優介
生年月日:1970年12月25日
年齢  :48歳(2019年8月現在)
出身  :大阪府門真市
高校  :非公開
大学  :大阪芸術大学工芸学科染織コース
職業  :草木染め作家(職人)
趣味  :オフロードバイク。

「激レアさんを連れてきた」の中で、

『18歳で交通事故にあって、記憶喪失になり

人間の生活習慣全部を忘れてしまったが

奇跡的にカムバックした人』

と紹介された坪倉優介さん。

2001年にその経験に基づく著書

『ぼくらはみんな生きている

18歳ですべての記憶を失くした青年の手記』

を出版。

2003年にスペシャルドラマ化され

オダギリジョーさんが坪倉優介役を演じています。

また、坪倉優介さんのその奇跡的な人生は

幾度かメディアでも取り上げられています。

2002年 『徹子の部屋』出演

2011年 『記憶喪失になったぼくが見た世界』出版

2011年 『ザ・ベストハウス123』

坪倉優介が交通事故で記憶喪失!原因は?

1989年(平成元年)6月5日、

当時大学1年の坪倉優介さんは、

停車中のトラックにバイクで激突するという

交通事故を起こしました。

くも膜下出血で意識不明の重体。

くも膜下出血
脳は3層の膜によって囲まれており、
その膜の中の1つであるクモ膜の下の空間に出血が起こる症状。

大阪府立大学病院救急センターの

集中治療室で10日間眠り続けた後、

意識が回復しましたが、

自分の名前も、家族の顔も名前も、住所も、

何もかも記憶が抜け落ちています。

重度の記憶喪失・高次脳機能障害

となってしまいました。

高次脳機能障害とは?
人間は、目(視覚)、耳(聴覚)、口(味覚)、
皮膚(触覚)から刺激を受けて脳に情報を送っています。

そして脳は送られた刺激に対して言葉にしたり、
学習したりします。
さらに記憶した知識や経験を元にして判断を下したりもします。
このような脳の機能を『高次脳機能』といいます。

交通事故や脳卒中などで脳が損傷されると、
記憶や集中力、考える力、言葉の障害、行動異常が
生じることがあります。
これらの障害を『高次脳機能障害』と言います

交通事故により、記憶を失う確率というのは

明らかにされていませんが、

交通事故のに遭う確率は、

一生の内、二人に一人の割合だそうなので、

いつ自分にも記憶障害が起きるのかわかりませんね。

坪倉優介さんは、事故から1か月後、

記憶を失ったまま退院、自宅に戻りましたが、

「食べる」という言葉の意味すら

分からなくなっていました。

坪倉優介の交通事故後の記憶障害との闘い

一般的な記憶喪失は、知識として覚えた陳述記憶が

失われることが多いですが、

坪倉優介さんは生活習慣などの

手続き記憶までも失いました。

簡単な会話はできますが、

・排泄はトイレでする
・風呂はお湯で入る
・文字や眠ること
・味覚
・喜怒哀楽の感情の喪失   などを失う。

つまり、

18歳の赤ちゃんのような状態になってしまったんですね。

ご飯を食べるときの回想では、

かあさんが、ぼくのまえになにかをおいた。
けむりが、もやもやと出てくるのを見て、
すぐに中をのぞく。

すると光るつぶつぶがいっぱい入っている。
きれい。
でもこんなきれいなものを、どうすればいいのだろう。

じっと見ていると、かあさんが、
こうしてたべるのよとおしえてくれる。
なにか、すごいことがおこるような気がしてきた。

だから、かあさんと同じように、
ぴかぴか光るつぶつぶを、口の中に入れた。
それが舌にあたるといたい。
なんだ、いったい。こんな物をどうするんだ。

かあさんを見ると笑いながら
こうしてかみなさいと言って口を動かす。
だからぼくもまた,同じように口を動かした。

動かせば動かすほど、
口の中の小さなつぶつぶも動き出す。

そしたら急に、口の中で「じわり」と感じるものがあった。
それはすぐにひろがる。これはなに。

赤ちゃんはこの世で出会ったものが

全て初めてなので、

赤ちゃんが気持ちを言葉で表すことが

出来るとすればこのように思っているのかもしれません。

だけど同時にそれが18歳になる

大きな赤ちゃんだった時、

家族の苦労を思うときれいな言葉ではまとめられない、

壮絶な苦労があったと思われます。

当の本人にとって、全ての事柄が分からないので、

辺り構わず、時間無視で、まわりの者(特に母親)に

疑問をぶつけてきたといいます。

そのことで、周囲の人間が辟易した態度で

溜息をつくと、

誰もいないところに行きたいと、夜中にも拘わらず、

家出も多かったといいます。

それでも、

母親の必至の関わりから、少しづつ

いろいろなことを改めて覚えていった

坪倉優介さん。

刺激の多い大学生活をすることによって、

記憶が戻るのではないか? との期待から、

大阪芸術大学に復学を果たします。

母親に付き添ってもらい、

電車を乗り継いで、通学するところから始まり、

一人で通学できるようになるも、

衝動的に途中下車してしまうなど、

トラブル続き。

言葉の意味を理解することすらやっとですので、

復学後の坪倉優介さんは、

とても大学の授業にはついていけす、

留年してしまいます。

それでも一つ一つのことが、

全てリハビリになり、

大学近くに「一人暮らし」も始めることもできるようになりました。

我が家に引きこもっていたら

ずっとそのまま外界との接触を持たずに

一生を終えていた可能性もあるので、

御両親が大学に行かせようと

努力されたのは素晴らしいことだと思いましたし、

坪倉優介さんへの深い深い愛情を感じますね。

事故後、

母親から「お母さんよ、あなたのお母さんよ。」

と呼びかけられたとき、

胸の辺りがぼわってあったかくなったという

坪倉優介さん。

母親のことは記憶の深いところでは、

忘れていなかったんですね。

坪倉優介さんはとても大事に育てられていたからこそ、

胸があったかくなったのでしょう。

親子の絆は本当に深いものであると同時に、

深く残る記憶だからこそ、

幼少期の関わりが大事だなと思いましたね。

ザ・ベストハウス123では、

事故後初めて、坪倉優介さんの脳をMRIで

解析した結果、

なんと、

「傷痕は一切見当たらない」という

驚くべき事実が判明!

事故で受けたはずの、脳の損傷が、

母親や坪倉優介さんの支えで復活したというから、

まさに奇跡の人ですね!

坪倉優介の今現在は草木染め作家!作品展示はどこ?

もともと絵が好きで、

大阪芸術大学に入学した坪倉優介さん。

「美術ってなんだ?」と突き詰めて考えるどころか、

事故によって、

その言葉の意味自体わからないところから

再出発することになりましたが、

大学4年間の生活で草木染めの授業に出会い、

草木で染める色に興味を持ちます。

大学4年間を過ごしても、就職するには

まだまだ不安な坪倉優介さんは、

「ろうけつ染め」を極めたいという思いもあり、

ご両親を説得しての専攻科を受験。

色鉛筆で描いたり、絵の具で塗るといった作業とはまた違う、

「染め」という技法を用いて制作することの面白さについて、

このように語っています。

染色には自分の人生の中で
完成しきれそうにないくらい深いものを感じています。

同じ色に染まっているように見えても
染め具合によってまるで違います。

やり直しがきかないところや
絵の具のように上から重ねて塗れないところも
染めの面白さですし、
自分の色を見つけていけるところも醍醐味です。

出典:大阪芸術大学HP

何だか人生に通じるものがあります。

坪倉優介さんは「染め」の世界を通して、

無意識に人生の面白さを感じ、

興味をもっていったんでしょうね。

就職先は、

京都の「(染工房)夢 祐斎」に興味を覚え、

受験しました。面接は4時間にわたりました。
 

坪倉優介さんの全てを理解し、

受け入れたのは、染師の奥田祐斎氏。

1996年より奥田祐斎氏に師事し、

2004年、ヨーロッパを中心に海外を旅をし、

2005年には日本国内を放浪。

その後、

坪倉優介さんは記憶を失った代わりに、

常識にとらわれない色彩感覚という個性を手に入れ、

染色作家として、

2006年、大阪市内でゆうすけ工房設立。

全国から様々な草木を集め、着物を中心に

染色作品を制作しています。

2002年には、『徹子の部屋』で松、竹、梅などで染めた

反物が黒柳徹子さんに評価されるなど活躍されています。

坪倉優介の草木染めの作品は?

坪倉優介さんのブログに、

作品展示会のスケジュールが掲載されていました。

☆作品展示会/制作スケジュール 【予定表】
2019年 【平成~令和元年】
 1月:椿など染色研究
 2月:梅など染色研究
    和歌山県展示会
 3月:東京企画展・岩手県展示会(予)
    兵庫県展示会
 4月:桜など染色研究・宮崎県展示会
 5月:長野県展示会
 6月:蓬など染色研究
 7月:岩手県展示会
 8月:蓮など染色研究
 9月:笹など染色研究
10月:柿など染色研究
11月:団栗染色研究
12月:東京都展示会(予)年間スケジュール表

詳しい日付などはわかりませんでした。

近くなったら更新されるかもしれません。

このような感じで開催されているようです。

坪倉優介さん、ブログを開設し、

Twitterのアカウントもありますが、

あまり更新していないようです。

忙しいのかもしれませんね。

坪倉優介の結婚は?

坪倉優介さんが、結婚しているのか、

あまり更新されておらず、

ブログなどからはわかりませんでした。

年齢からすれば結婚されていてもおかしくはありませんね。

事故前はどちらかというと頑固で喧嘩早い性格

だったという坪倉優介さんですが、

事故後は、どちらかというと穏やかな性格になったそうですので、

女性も話しやすくなったかもしれません。

坪倉優介さんの本は?

坪倉優介さんは、

前述したとおり、記憶喪失だった頃の手記を

まとめて書籍にしています。

そのレビューを一部紹介します。

※読書メーターより引用

■父は当初、坪倉さんが
記憶喪失になったことは認められず、
母に対しては「甘やかすな」と叱る。

子は親の背中を見て大きくなるのだから、
親はしっかりしていないといけないと。
(こんなあたり,本当に男女差が出るなぁ。。)

二人とも接し方は違えど、
坪倉さんにべったりつきっきりになったり
家に閉じ込めておいたりすることはせず、

3か月目には大学に通わせ、
福井に運転免許の合宿に参加させ、
事故の原因となったスクーターに乗ることを認め、
さらには一人暮らしさえさせるようになる。

どんなに心配だったとしても、
どんなに不安があったとしても、
記憶を失ったことを言い訳とせず、
社会人として自立して生きていけるように。
そんなご両親に、敬意を表さずにはいられません…。

■本書の中では記憶を取り戻すことは出来ないまま。
ですが、過去の自分を思い出そうと躍起になるのではなく、
今の自分を受け入れ、
未来を見つめている優介さんを純粋に応援したくなりました。

■記憶を喪失するという喪失感が
とてつもなく大きいことが、痛いほどに伝わってくる。
並の精神なら耐えられない状態で、
社会復帰するだけでなく、美術の道に入り
手さぐりで切り開いた姿は恐れ入る。

■坪倉さんにとって幸いだったと思うのは、
家族がとても温かいところだと思う。
事故を起こす前からご両親は「父性・母性」を
持って筆者を育ていたことがわかるし、
それが事故後の人格を作ったのかもしれない。
次第に色んなことを学ぶ中で、「過去の記録」が
思い出されるのが怖いというのは筆者にしか描けない視点だった。
言葉は悪いが、内容はとても面白かった。

■その人が見る世界は不思議に溢れてて、
その中でどう周りの人が関わるべきかなんかも考えさせられる本でした。
そんなの抜きにしても、記憶を無くした時の、
「初めて出会う物体に接する生物の気持ち」
みたいなのの描写が面白かった。
自己表現、そして仕事となる芸術がこの人にあって良かったと思いました。

引用:読書メーター

◆◆記憶喪失になったぼくが見た世界 / 坪倉優介/著 / 朝日新聞出版

坪倉優介さんは、今現在、

失ってしまったな過去の18年の記憶よりも、

新しい過去の方が大事になったといいます。

優れた色彩感覚と困難を乗り越えてきた坪倉優介さんだからこそ、

表現できる草木染めの色があるのでしょうね。

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