中川浩(科学の教室)編集長の学研の付録画像は?年収や今現在の販売はある?



「奇跡体験!アンビリバボー」で、

中川浩編集長が、「科学の教室」を

300万部の大ヒット科学雑誌にのし上げるまでの

奇跡が特集されています。

学研の編集長である中川浩さんの

年収や当時の付録について、また、今現在でも

購入が可能なのかどうか調べてみました!

中川浩編集長のプロフィール

名前:中川浩(なかがわ ひろし)
職業:学研編集長
家族:妻・子供3人(長男は理作、次男は研作)

戦後、昭和21年に「(学研) 株)学習研究社」が

つくられたのですが、そのきっかけとなったのが、

『学習』で、

戦後の日本の教育に当たって、子供たちのために、

元教師の創業者が進駐軍の検閲が入った教科書ではない、

副読本を作ろうとして創刊されたのが、『学習』でした。

そして、

中川浩氏はもともと、後に

200万部の大ヒットとなった月刊誌『学習』の編集長です。

当時、学研では、

雑誌『科学の教室』は全く売れず、

毎月廃刊が検討される崖っぷちの状況だったところに、

敏腕編集長だった中川浩氏が配属になり、

息子さんたちが遊んでいるところを見てから

アイディアが浮かび、

300万部もの大ヒット科学雑誌に大変貌させたスゴイ人!

当時の中川浩氏の仕事ぶりには、

鬼気迫るものがあり、

部下たちは「鬼の中川」と呼んでいたそうな・・・。

というのも、中川浩氏が

子どもに本物の科学を伝えたいという思いが強く、

本誌の執筆者には各分野の第一線の一流の学者を

起用することにこだわるなど、

とにかく子供たちに

本当の科学の世界を見せたい!

実験を通して面白さを知ってほしい!

まさに本気で子供のことを考えていたんです!

だからこそのヒットなんですね!

その軌跡とは・・・・?

中川浩編集長の「科学の教室」誕生秘話まとめ

1960年の高度経済成長期、学研では、

科学がこれからの日本をつくっていくと信じて、

雑誌『科学の教室』の編集に奮闘していました。

しかし、雑誌は全く売れず、

毎月廃刊が検討される崖っぷちの状況で、

出版業界には、「科学ものは売れない」

というジンクスがありました。

そんな中、新編集長に抜擢されたのが、

中川浩氏。

当時中川浩氏は、学研の稼ぎ頭である

「学習」の3年4年の統括編集長でした。

彼は『科学の教室』編集部に来るなり、

誌面に目を通すと雑誌を机に叩きつけこう言い放ちます。

「まったく面白くない!」

これまでのやり方を全否定!!

当時『科学の教室』は学校での直販ということを意識するあまり、

文部省の指導要領に沿って教科書の補助のような資料

という編集を行っていました。

中川氏が思い描く『科学の教室』とは、

子供たちが学校で使う教科書や資料的なものではなく、

子供たちが家に帰って楽しく読める雑誌だと主張します。

中川氏による厳しい改革には、

反発する者もいましたが、

雑誌が売れるためならと我慢。

そんな中川浩氏の改革は次の通りです。

①学年別にする

②付録をつける

③輸送コストの工夫

①学年別にする

学年別に各年齢のニーズや

各学年ごとに担当編集者を置き、

能力に合わせてきめ細やかに編集していきました。

編集者たちだけではなく、

当時の科学に詳しい識者や学校の先生などの協力もあり、

評判は高くなっていきます。

次世代の担い手である子供たちに

是非読んでもらいたい

という意見も多数貰うことが出来ました。

②付録をつける

中川浩氏は

「科学や理科を子どもたちに学ばせるのに

本だけでいいのか。やっぱり実験だろう。

そのためには実験キットが必要だ。”ふろく”をつけよう」

と言い放ったそうです。

しかし

当時の編集部員たちは

提案に対して大反対をします。

「自分たちは本を作るために学研に入ったんだ」

「おもちゃを作るために学研に入ったわけではない」

というプライドからでした。

 当時の「科学の教室」は定価120円。

本誌とふろくにかけられる原価は70円。

どんなに頑張っても、本誌は40円、ふろくが30円。

30円で子供が喜んで、先生や親が感心してくれるふろくは作れるのか?


そんなとき、庭で子供たちが、

虫メガネを使って太陽光を集め、

紙に火をつけようとしていました。

中川氏は血相をかけて子供の元へ行き、

チャチな虫眼鏡を取り上げどこで買ったの

か案内しろと子供に話しました。

子供たちが連れてきてくれたのは駄菓子屋さん。

そこで中川氏は水鉄砲やコマ、鏡などを買いまくりました。

中川氏にとって駄菓子屋で売られている

1個10円程度のおもちゃは衝撃でした。

その日から中川氏は社内にほとんどいることもなく、

近所の駄菓子の問屋街を歩き回りました。

毎日毎日2時間から3時間は歩き回っていたでしょうか?

デスクワークばかりやっていた

中川氏は足が棒のようになる日々。

しかし、毎日通い詰めているうちに、

店主とも顔なじみになり、

品物を下ろしている業者も少しずつ分かってきました。

メーカーや仕入れ業者とも仲良くなっていくにつれ、

扱っている商品がどんなもので原価は

どれくらいかも大体わかってくるようになります。

話し合ううち、

ふろくは実現できると確信したそうです。

③輸送コストの工夫

当時、雑誌は国鉄(現JR)によって

特別割引運賃で全国に運ばれていましたが、

大きさや重さなどに様々な制約がありました。


そのため、国鉄に代わる輸送手段を

考えなくてはなりませんでした。

トラック運輸は始まったばかりで、

今のように輸送網が発達しておらず、

国鉄よりも高くつくと思われていました。


そこで中川さんは発送関連部門の小林さんに相談します。


そして、学校で教師の手により

販売配布することが決定しました。


1972年からは、学研コンパニオンと呼ばれる、

家庭および学校への訪問を主軸とする

販売員制度に移行。

70年代中盤ごろまでは学校で

販売員が販売していることも多かったそうです。

販売員はあの聞き覚えのある「学研のおばちゃん」

とも呼ばれていました。

中川浩氏の改革の詳しくはこちら!

科学の教室の当時の付録は?

1963年に「科学の教室」から改題され、

付録付きの「科学」が発行された際に

作られた付録は以下の通りです。

出典:学研の科学50年史

1年 てんき しらべすたんぷ せっと
2年 風しらべジェット機
3年 水さいばいセット
4年 ポンプセット
5年 解ぼう器
6年 金属鉱物・岩石標本セット

●鉱物標本セット

創刊当時から子どもたちの絶大な支持を得た

ふろくの一つが鉱物標本セットです。

学校の理科室にあるものに比べてかなり小さいですが、

ほとんど同じ鉱物が入っているので

子どもたちにとっては正に宝箱だったそう!

出典:学研

また他にもたくさんの付録を世に送り出していますね!

●パン作りセット

実験の後で食べられるふろくは、

アイスクリーム、豆腐、ところてん、

水あめ、ひょうろうがん、肉まん、

あんまんなどバラエティーに富んでいました!

出典:学研

食品系ふろくが登場したのは1967年。

ヨウ素でんぷん反応などを実験で確かめた後、

「家族にもご馳走しよう。」などと食べることを

勧めていたそうです。

今ではこんな付録はお目にかかれませんね!

●本物を目指したカメラのふろく

レンズを使ったカメラは、開発が難航したため

1年遅れの1964年の「5年の科学」で初登場。

ネシャッターはもちろん、ファインダーやフィルムの

カウンター窓もついた本格的なもので、

10枚撮り16ミリフィルムもついて

写真屋さんで現像してもらうことができたという優れもの!

出典:学研

中川浩編集長の年収は?

雑誌編集者:300万円~1000万円以上

編集長・局長:845万円~1000万円以上

出典:https://heikinnenshu.jp/creative/editor.html

常にヒットする企画を連発する大手出版社の

編集者の中には年収が1000万円を超えています。

編集長や局長も大手出版社と中小出版社とでは

年収にも相当な差があり、

編集者として実績を積み、

30代から40代にかけて編集長になるのが普通で、

大手出版社の局長クラスの場合は40代後半から

50代にかけてなるのが一般的です。

また部数でヒットを出すとボーナスに上乗せもされるそうです。

中川浩氏は36歳で編集長になっており、

年収は1000万円以上はることでしょう。

科学の教室の付録は今現在でも買えるの?

学研の雑誌は、

学習は2009年冬号、

科学は2010年3月号以降は休刊しています。

しかし、

2003年から学研(2009年以降は学研教育出版)から

「大人の科学マガジン」が発行されており、

現在は、3、6、9、12月の年4回発行されています。

子供のころから科学が好きで

大人になってからも愛読されている方も多いようですね^^

実験や科学が好きな子供たちの為に作った雑誌が

廃刊になったのはなぜでしょうか?

学研の科学が廃刊になった理由とは?

1971年、消費者基本法が制定されたのをきっかけに、

特定の企業の製品を学校で販売することに

対してクレームが入り、

それまでの学校での販売が難しなったことがきっかけで、

学研は、学校や家庭への訪問販売を行う

販売員制度に移行してゆきます。

しかし、少子化も進み、訪問販売では断られることも増えたために、

発行部数も減少。

遭えなく廃刊となってしまったようです。

今でも子供たちの実験好きは変わっていないと思うので、

また復活したら売れたりするでしょうか?

管理人の子供なんかも喜びそうです^^

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