小出義雄監督の死因は不整脈や心臓病?妻や子供は?功績や指導法がすごかった!

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突然の小出義雄元監督の訃報で驚きました。

小出義雄監督の

死因は心臓病だったのでしょうか。

残された妻や子供がいるのか、

これまでの功績や経歴とともに

調べてみました。

小出義雄元監督の死因は不整脈や心臓病?

2000年シドニー五輪マラソン金メダルを獲得した

Qちゃんこと高橋尚子元選手を育成し、

名監督として親しまれ、

数々の名選手を育成した小出義雄氏が24日、

逝去されました。80歳だったそうです。

死因について、現在のところ詳しくは

報じられておりませんが、

2015年には心疾患を患っており、

心臓病の手術も受けていたことが分かっています。

シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん(43)を育てた長距離界の名将・小出義雄氏(76)が昨年、不整脈から来る心疾患で倒れ、緊急手術を受けていたことが分かった。
15年8月、米国・ボルダ―での合宿中に不整脈から来る心疾患で倒れ、緊急手術。今でも心臓にはペースメーカーが入っている。医師からは「意識がなくなって、だいたい死んでしまう」と言われたほどだったが「何言っているんですか、私は死ぬ気がしない」と言い返した小出氏。「あと5年、東京までは死ねないよな。勝たせて死にたいよな、勝たせて…」。

引用:スポニチアネックス

上記は2016年2月18日の記事になります。

この時は、

50年間で初めて、このくらい能力あるやつに巡り合った

と絶賛した2015年世界陸上女子5000メートルに

出場した鷲見梓沙選手と東京オリンピックを

目指していたようです。

『東京オリンピックを見届けるまでは

死ぬわけにはいかない』と、

指導者としての熱意もあらわにしていた

小出義雄さん得。

来年の東京オリンピック目前に迫っての今回の訃報に、

選手をはじめ、小出義雄監督も

無念だったに違いありません。

2017年の第37回全日本実業団対抗女子駅伝 では、

小出義雄監督が率いる佐倉アスリート倶楽部が優勝し、

笑顔をみせるなど、元気な様子でした。

2019年3月末に指導者引退。近年は体調を崩していた

スポーツ報知などの報道によれば、

小出監督は近年体調を崩しがちで、

入退院を繰り返していたといいます。

15年間育成に携わった実業団・ユニバーサルエンターテインメント(UE)との契約が満了を迎えたことに加え、近年は体調が優れず入退院を繰り返していた。
複数の関係者によると、小出氏は近年、体調を崩しがちで入退院を繰り返していた。2~3年前からは心臓にペースメーカーを装着していたという。その影響もあって、現場での指導回数が減少。さらに、昨年はUEがドーピング問題で17年全日本実業団女子駅伝優勝が取り消されるなど、心身共に疲弊。UEとの契約満了というタイミングも指導者引退を決意させた。

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000063-sph-spo

心臓病や血管系の病気を患っている人は、

生活習慣や遺伝の要素も大きく、

心疾患にかかりやすい体質といえます。

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そのため、今回の直接的な死因が

心疾患であった可能性も否めません。

小出義雄の妻や子供は?

小出さんが長生高校陸上部時代の教え子の

啓子さんと1971年に結婚し、

啓子さんとの間に3人の娘さんをもうけています。

小出さんが「世界に通用するランナーを育ててみたい」

と教師を辞めたいと言った時も、

あと2年勤めたら年金も保証されることになる

という状態でも啓子さんは反対することもなく、

「あら、そう。また夢の続き、頑張らなくちゃね。」

と言って、背中を押してくれたそうです。

次女・小出正子(こいでまさこ 現高橋正子)さんは、

元積水化学陸上部のランナーで、

現在は、引退し佐倉アスリート倶楽部の

スタッフとして後進の指導をしています。

正子さんが結婚したお相手は

元富士通陸上部のエースで東京国際マラソンの

優勝経験もある、高橋健一さん。

長女さんと三女さんの事は公にはなっていないようです。

小出義雄が指導した選手や指導法は?

最初に赴任したのは千葉県立長生高校で、

いきなりインターハイ出場選手を出しています。

この頃の教え子が鈴木秀夫さん。

次に赴任したのは千葉県佐倉高校で

78年79年と連続で全国高校駅伝に出場。

1985年に市立船橋を率いて

3年目に全国大会4位となり、

1986年には念願の初優勝を達成しています。

1988年に教師を辞め

リクルート・ランニングクラブ監督に就任。

92年に有森裕子さんがバルセロナオリンピックで

銀メダル、

実業団女子駅伝を1993年1994年と連覇に導きます。

1996年アトランタオリンピックで有森さんが銅メダル、

1997年の世界選手権アテネ大会で

鈴木博美さんが金メダルを獲得。

1997-2002年積水化学女子陸上部監督に就任

1998年のアジア大会で高橋尚子さんが

当時の世界最高タイムを出し、

シドニーオリンピックで金メダルを獲得

2002年佐倉アスリート倶楽部株式会社を設立し、

代表取締役兼監督をしています。

2008年豊田自動織機チームを

全日本実業団対抗女子駅伝で優勝に導き、

2012年には

ユニバーサルエンターテインメントチームが

東日本実業団対抗女子駅伝で優勝しています。

その指導法については賛否分かれているようですが、

実績が伴っているのがスゴイですね。

 20年も30年も先を行く指導者だった。1983年の青梅マラソン女子30キロ優勝者は倉橋尚巳、2位は古達千加。ともに小出監督が顧問を務める佐倉高校の現役陸上部員だった。インターハイの女子種目が、まだ800メートルまでしかない時代。女子高生に20キロ、30キロを走らせたら体を壊してしまうと非難されても、意に介さなかった。84年ロス五輪で正式採用された女子マラソンこそ、日本人が金メダルを獲得できる種目と信じて挑戦し続け、常識をぶち破る誰もやったことのない最先端の指導で実現した

引用:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000068-sph-spo

「そんなに良くないのに、監督からいいよ、

すごくいいよって褒めてもらうと、

私こんなものじゃないんです、もっと頑張れます!

って走っちゃうんです」

と高橋尚子選手は語っているように、

その人柄が愛された監督だったのでしょう。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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