木村高司(イチローを抑えた投手)の今現在の職業は運動具店!野球をやめた理由は?

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TV「消えた天才」で、

あのイチローを12打数2安打に抑え込んだのは、

木村高司さんです。

愛知県中京大中京高校でピッチャーだった

木村高司さんの今現在は、

運動具店の店長だそうです。

イチローだけではなく、元ヤンキースの

松井選手も衝撃を受けたという

木村高司さんとはどんな方なのでしょうか?

木村高司の年齢や高校などのプロフィール

出典:Facebook

名前:木村高司
生年:1973年
年齢:45歳
中学:港明中学
高校:中京大中京高校
大学:法制大学
家族:兄は元読売巨人の投手
 
 

木村高司さんは、

浅田真央さんや安藤美姫さん、宇野昌磨選手など、

フィギュアスケート選手を多く輩出していることで

有名な中京大中京高校の野球部で

投手として活躍!

中京大中京高校は、フィギュアスケートだけではなく、

野球部も甲子園で通算133勝、

春の選抜では4回、夏の選手権では7回も

優勝を飾っています!

そんな強豪野球部のエース投手であり、

1991年の夏の甲子園出場時には大会注目の

右腕としてチームを引っ張っていました。

特にストレートが凄く、

松井秀喜選手が、イチローとのあるテレビ対談で

「あんなにストレートが早いピッチャー見たことなかった」

と当時を振り返っています。

木村高司の兄は木村龍治選手!

木村高司さんんはお兄さんがいるのですが、

元読売巨人軍の投手だった、木村龍治選手です。

中京高校(現・中京大中京高校)時代には

1987年の夏の甲子園・1988年の春の甲子園に

エースとして出場。

春の宇部商戦では9回1死

完全試合を続けていたが、

ボテボテのゴロが一二塁間を抜けるヒットの後、

送りバントで二死二塁の状況で逆転2ランを打たれ、

敗戦したという逸話があります・・・。

青山学院大学に進学後に、ドラフト4位で

読売ジャイアンツに入団し、

1993年から2004年まで在籍。

今現在は、2017年から一軍投手コーチを務め、

2018年はトレーニングコーチを兼任されています。

木村高司とイチローの対戦成績

木村高司選手とイチローとの対戦成績は、

12打数2安打で打率0.167です。

イチロー選手の高校時代の成績は、

536打数269安打で打率0.501という驚異的なもの!

その中で木村高司投手はかなりイチローを

抑えていたことになります。

イチローに高校時代唯一のライバルと

言わしめた右腕の木村高司選手だったんですね!

木村高司とイチローの奇跡の対戦とは?

中学時代愛知県内では有名選手だった

イチローは、愛工大名電高校に入学。

1990年第72回全国高校野球選手権で、

イチローはレギュラーとなり天理と対戦。

4打数1安打1三振とチームも一回戦で敗退。

その後、イチロー3年の春、

第36回選抜高校野球大会ではエースとして

松商学園と対戦。

しかし1回戦で敗退。

プロになるには甲子園で結果を出し、

スカウトの目に留まることが必須ですが、

これまでの成績では、プロになることはできない内容でした。

イチローがプロになるきっかけの試合①

1991年7月28日、

第73回全国高校野球選手権愛知大会準々決勝。

愛工大名電は中京高校と対戦。

その年の春、センバツに出場していた名電高校は、

4番鈴木一朗(イチロー)を中心とした強力打線で、

5回戦までをほとんどコールドゲームで勝利。

一方、名門・中京高校も大会注目右腕の

木村高司投手を擁し、準々決勝までの

5試合をすべて完封勝ちしており、

事実愛知県大会の事実上の決勝戦とも

いわれていました。

誰よりもプロを意識していた

ピッチャーイチローは、

決して負けられない試合で先制点を許し、

更に雨で正球が乱れ、

2点を追う4回表、イチローの第二打席では

無死一・二塁のチャンスだったが結果は出ません。

それでも後続のバッターが3-2と逆転に成功。

しかし、マウンドはぬかるみボールは雨で滑り

この試合3つ目のデッドボール。

5回裏、1死満塁ピッチャー・イチローが迎えたのは

中京エース・木村高司選手で同点となってしまいます。

更に、二点勝ち越され3-5と逆転されてしまった。

5回が終了し、雨のために試合が一時中断。

大会規定によりノーゲームになり、

勝負は翌日へ持ち越しに。

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イチローがプロになるきっかけの試合②

翌日再試合では、

木村高司投手の好投で中京が2-0とリード。

6回、名電は1点を返し、

2アウトランナー一塁で打率.722の鈴木一朗。

イチローは準決勝まで、

打率7割超え・ホームラン3本・盗塁13

という、ずば抜けた存在だったんです!

カウント1-1からの3球目、

連戦で握力の無くなった木村高司投手の

高めに上ずったストレートを見逃さずに、

ライトへ高々と舞い上がるホームランで逆転。

そのままイチローがいる愛工大名電が勝利しました。

1991年愛知県大会準々決勝 愛工大名電vs中京

イチロー逆転2ランの打席は1:24:54くらいからです。

イチローは自身の著書の中で、

この試合についてこう語っています。

「正直にいえば、あの夏、僕の目標は

甲子園に出ることじゃなかった。

高校に入る前から、プロになることを第一に

考えていましたし、モチベーションが他の選手とは

まったく違っていたと思います。

みんなは力を合わせて甲子園に向かって

いけるでしょう。

でも僕は一人でプロという強大な世界に

向かわなければならない。

そんなこと半端な気持ちじゃできないんですよ。

だから一つでも多く勝って、

自分のプレーをスカウトの人に見せたかった。

準々決勝で終わるわけにはいかなかったんです。

僕がスカウトにも覚えてもらうようになったのは、

あの逆転ホームランからだったと思います」

出典:https://lp6ac4.hatenablog.com/entries/2008/12/07

また、イチロー選手は、おなじ著書の中で、

ベストゲームねえ。そんなの、存在しない(笑)。

まず、今の僕にはベストゲームという概念がないから。

とも語っています。

イチロー選手らしい答えですよね。

しかし、

ベストゲームではないけれど、

1991年の木村高司投手との、

この試合はこのイチローにとってプロのスカウトの

目にとまったという意味で、重要な試合だったのでしょう。

すごく印象に残っているそうです。

その後、

2学期になってから、木村高司さんは、

友人を通じてイチロー選手の自宅の電話番号を知り、

連絡をとってみると意気投合!

喫茶店でフルーツパフェを食べながら

夏の思い出を語り合うという仲になったそうです。

木村高司が野球を辞めた理由と今現在は?

木村高司さんは高校卒業後法政大学に進学。

甲子園を沸かせた右腕でしたが、プロ入りはせずに、

会社員を経て、家業の運動具店を経営されています。

木村高司選手、

実は、肘は中学時代にもう故障していたそうです。

 高校時代は肘に爆弾を抱えながら投球していたのですね・・・。

それでもエースとして登板されていたのですから、

ケガさえなければプロ入り確実だったのでしょう。

木村高司選手とイチローの進む道は違えど、

イチローがプロ野球・オリックスに進んだ後も

親交は続き、

木村さんが運動具店の経営に携わり始めた際には、

イチロー選手から店に飾るためのバットが贈られたといわれています。

2015年1月には、

神戸市内で自主トレーニングをしていた

イチロー選手を木村高司さんが訪問すると、

「投げられる?」と打撃投手を頼まれ、

10分間、黙々と球を投げ込んだそうです。

2016年8月8日に、

米大リーグ通算3000安打を達成したイチロー選手に、

木村高司さんは

「おめでとう。ベースランニングが格好良すぎるわ」

とメールを送信したそうです。

イチローと仲良しの木村高司さん。

お店に行ったらイチローの選手時代のことなど

いろいろ聞けそうですね^^

木村運動具店
スポーツショップ・ゴルフショップ

住所
愛知県名古屋市港区七番町5丁目15

アクセス
最寄駅
東海通駅から徒歩3分(200m)
港区役所駅から徒歩13分(1000m)
バス停
東海通二丁目バス停から徒歩3分(230m)

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